専門学校を卒業したての若者が確立した自給自足型の建築手法│ パーリー建築

自給自足型の建築手法│ パーリー建築



概要│パーリー建築ってどんな人たち?

パーリー建築の二人とワークショップ参加中の姉妹

パーリー建築とは
改修する物件に住み込んで、施主や地域の人たちを巻き込み、一緒に物件をリノベーションする活動
活動人物:宮原翔太郎 とその仲間たち
活動期間:2014年~
活動拠点:鳥取県(2018年現在)
Facebook:https://www.facebook.com/pticpartic/

建築のプロではないリノベーション集団

鳥取のとある温泉街の一角に、長年使い手のいない床屋とスナックを自分たちの手で喫茶店へと改修し、「喫茶ミラクル」を運営しながら町の建築屋さんとして活動する青年たちがいる。彼らは、自分たちの活動を「パーリー建築」という。

彼らいわく、パーリー建築とは「改修する物件に住み込んで、施主や地域の人たちを巻き込み、一緒に物件をリノベーションする活動」の総称なんだとか。

家の改修工事で住み込みで行うだなんて、ましてやその工事現場でパーティーをするだなんて聞いたことがあるだろうか。

特徴│建築って、本来はみんなで楽しむパーティーだ

建築をつくる工事現場は誰のものでもない。

一般的に工事現場と聞いて想像するのは、どこか近づきがたい場所ではないだろうか。

職人気質な大工や強面の工務店の人などが出入りしていて、普段見かけない重機や工具があちこちで使われおり、スケジュール通りに進めるために緊張感のある現場。工事現場を勝手にのぞき込むなんてできる雰囲気ではない。

※写真はイメージです。

しかし、パーリー建築を始めた宮原さんは「工事現場は誰のものでもない」という。

“建築をつくること”そのものを、もっと楽しんでもいいんじゃないかと考え、建築もパーティーと同じ「 みんなのもの 」であると定義したのだ。

そして、実際に彼は2014年に渋谷で実験的に行った「パーリー建築」を皮切りに、3年間の放浪期間を経て、現在喫茶ミラクルを運営しながら日々「パーリー建築」をおこなっている。

 

始まりは建築する場で生活してしまったこと

「 パーリー建築 」をしている彼らは、建築のプロではない。職人ではないし、工務店で長年働いた経験はない。だから報酬をもらわないかわりに、改修する家に住みこませてもらい生活し、作業をする

そして家無しの彼らは、夜な夜なパーティーを工事現場で開くのだ。

夜な夜なパーティーをすると表現をしたが、実際はパーティーと称し「改修を一緒に行うワークショップ」のこともあれば、「持ち寄ったご飯を食べる会」だったり、

「美大生たちの個展」や「音楽好きの人たちのための演奏会」ような、ちょっとしたイベントを企画したりする。

鳥取県浜村町 壁塗装 ワークショップ

改修ワークショップでは、家の壁を壊したり、壁の塗装をしたりする。このような作業は、普通に暮らしているだけでは滅多にできることではないけれど、実際やってみたいと思っている人は多く、先日行った壁塗りワークショップでは15人ほどが参加していた。

工事現場でパーティーをすると「おいしい思い出」や「新しい出会い」が生まれる。

#diagram

彼らの活動の一部は、確かに単なる「ワークショップ」というくくりではある。

しかし、住み込むことでその建物を使う人の気持ちを考えながら施主と一緒にその建物を考えパーティーというカタチで工事現場を開けた場にしている。

施主や地域の人と建築をつくることを一緒に楽しむことをしている彼らといて感じるのは、建築に対して非常に自然体である、ということだ。その活動自体を社会的な意義や必要性といった、美装的な考えや思想を感じることが全くない

建築はそこを使う人々のものであると考えているから「工事現場をオープンにした」だけなのではないか。そうすべきだと感じたことをしていたら、周りに人がついてきた。というのが正解なのかもしれない。

あまりにも自然体な宮原さんたちが確立したパーリー建築なりの建築のつくり方のきっかけはどこにあるのだろうか。

 

歴史│パーリー建築が「旅するリノベーション集団」と呼ばれるまでの経歴

原点は、ド素人としてセルフリノベーションに参加した経験

そもそも「パーリー建築」とは、2014年に建築の専門学校に通う学生だった宮原さんが始めた活動だ。渋谷が初めての物件だった。
「渋谷で、実験的に工事現場に住み込みながら作業をしていたら、これなら飢えて困ることはないなと感じた(笑)」と宮原さんは言う。

パーリー建築 主要メンバー:宮原翔太郎さん
1990年生まれ。
大学卒業後、建築の専門学校で建築を学ぶ。
卒業後「パーリー建築」として、約3年日本各地をまわる。
現在は鳥取県で住宅や店舗のリノベーションを引き受け、改修・設計を続けている。

当時、専門学校で建築を学び「かっこいい建築をつくりたい」を考えていた宮原さんは、アトリエ設計事務所に就職したいと考えていた。
しかし事務所に勤めて設計をする手法は自分の身体と建築が遠く、”建築をつくる”実感が持てないと違和感を感じ、進路に悩んでいた。

そんな時に、偶然に友人に誘われた「初心者大歓迎!」と謳った広島尾道のゲストハウスのセルフリノベーションするプロジェクトに参加したそうだ。

ゲストハウスの工事現場では、わからないことは自分たちでGoogleや人に聞いて調べながらプロではない人たちが自分たちが使う建物をリノベーションをし、建築を作り直していた。

パーリー建築の原点はここにある。建築をつくることをしたことがなくても、教えてもらったり、友人たちに手伝ってもらったりすることで「やってみれば、プロでなくても建築をすることができる」のだと知った。

初心者の自分が参加して「誰にでもでもできる」建築の在り方があることを実感し、だったら「もっとみんなで建築をつくることを楽しめるんじゃないか」と思ったことがパーリー建築の原点だそうだ。

塗装を手伝う小学生の女の子

そして尾道で知り合った人から渋谷の物件の改修工事の話が舞い込み、「パーリー建築」を日本各地で行うきっかけとなった。専門学校時代に想像していた「建築設計の仕事」とはまったく異なる道を歩むことになる。

渋谷で、尾道で感じたことを試してみることにする。

鳥取県浜村町 壁塗装 ワークショップ

施工現場に住み込んでパーティーをすると、寝るところはあるし、パーティーをしているから食べものにも困らなかった

渋谷でやってみて、これなら初心者の自分でも経験を積み、自給自足しながら建築をつくることで生きていける」と考えるようになったと話してくれた。

 

生きるは、狩猟時代!家なき「旅するリノベーション集団」

そして、宮原さんが渋谷で始めた「パーリー建築」は渋谷をスタート地点とし、知人伝いに仕事をもらい全国各地10拠点を転々とする。しばらくすると「旅する建築集団」「旅するリノベーション集団」と巷で紹介されるようになった。

彼らは必要なもの、寝床、食べ物、知識経験は自分たちで手に入れて、次の拠点へと移動する生活を続ける。

彼らは自分たちのことを人類文化史になぞらえて「パーリー建築 ~狩猟時代~」なんて表現する。

 

独創性│パーリー建築がつくりだした価値とは

工事現場を「人が集う場」に分解した

私が彼らに出会ったのは、2016年秋であった。当時、彼らは宮城県山元町で使われていない元リンゴ農家だった住宅を改修し、一部をカフェにする仕事を請け負っていた。施主と地域の人たちと一緒に、古民家改修を通して町の問題を解決しながら施工をしていた。

私が、工事現場に行くと地元の大工さんがおおがかりな壁面工事を手伝ってくれていた。近所の人が、つくったお惣菜をおすそ分けしに来てくれていた。
農家の人が自分の畑で取れすぎた野菜を持ってきてくれるから、と台所には新鮮な野菜がところ狭しと置かれていた。

建築をつくることで建築を「場」に分解し、人とのつながりを生み出し「知識」や「食材」と等価交換をする。まさに自給自足な生活だ。

パーリー建築は‘‘建築’’という「人よりも大きく、動かせないもの」「プロがつくるもので、自分にはできない」と構えてしまうことを、

できることを積み重ねることで小さく切り取りとってみせ楽しいことに「分解」する。

建築が生まれる前の工事現場でさえ、人を巻き込み、一緒に楽しんでしまうことで「人が集う場」に変えられることを実感させてくれた。

彼らの仕事の仕方は「建築というものは特別ではないこと」を伝えてくれた。

「一緒に作ったほうが楽しいよ。自分が使うものを自分で作ってもらったほうが愛着がわくんだよ。」と、建築をつかって人と、

時間と経験を共有する。施主も、近隣の人も友達も通りすがりの人も、そこに違いはない。

ひとえに「楽しむ」という行為とは、そういうことなのだろう。

動かそうとしてみて、自分だけで動かせないのであれば手伝ってもらえばいい。一緒に作ればいい。そして、それはとても楽しい。

それに気づき、パーリー建築としてひたむきに建築で自給自足生活をしてきた狩猟時代を経て、たどり着いたのは鳥取県浜村温泉だった。

( ↓ )次の記事│パーリー建築、狩猟時代のち農耕時代へと。

時代と地域に合った方法で、自分たちで"建築をつくる"│ パーリー建築

2018.03.24
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