“建築をつくること”は”おいしいカレーをつくる”のと同じくらい私たちのそばにあってもいい│雑記



プロでなくても”建築をつくること”をしたってい

人が必要とした建築は、分け隔たれた存在になってしまった

在になってしまった

強すぎた建築

人よりもはるかに巨大で地に据えられた建築は人を外敵から守り、そして包み込む役割がある。

簡単に動かすことができるものではない。だから社会性を伴うし、その特殊性に価値がある。

現在、公共的な大きくて強い建築も私的な時間を過ごす住宅も、どこか人から離れよそよそしい。

自然発生した建築/集団社会から発生した建築

はじめは、人を外敵や天候から守るために作られた建築だった。時を経て、人々が一つの土地に定住すると、建築は土や風習を映し出す文化の一つになる。

定住し、農耕生活を始める。貯蓄ができると集団の中には貧富の差がうまれ、権威者が誕生する。すると建築は、時代の権威者の威厳を表すための道具として地域性や歴史性を伴って現れる。

建築は、常に人よりも「強い存在」であった。

私たちから離れていく建築

人が知識を得始めたときから今から約60年ほど前までは、建物は使う人もしくは必要とする集団が作り上げるものだった。

しかし現在では、公共施設や大型施設は、ゼネコンや大手設計会社が建てる。そこにその施設利用者である私たちが設計の場に現れることはないし、
私たちが過ごす時間がもっとも長いであろう住宅でさえ、工務店やハウスメーカーに依頼することが大半で、私たち自身が使うにも関わらず設計に携わることはないのが一般的だ。

私たちは、私たちが建てものを使うのに、建築にたいしてどこか他人事で遠くから見ているだけである。

負けてあげた建築

確かに最近では、そのような建築と人とのよそよそしい在り方に問題視をした建築家らが扇動し、利用者や施主と一緒に建築設計を行うこともある。

『負ける建築』

例えば、日本でもっとも著名な建築家の一人である隈健吾は『負ける建築』で

建築は人を支配しすぎた。人を土地に縛り、時間を縛り、生活の仕方を変えてしまった。
今後、建築はもっと地域や人間性に寄り添いっていくべきだ

と述べ、彼は市民参加型で利用者の意見をくみ上げた市役所を設計したり、地域の資材・資産を活かして地域に特化したミュージアムを作ったりしている。

建築を作る側にも「強すぎる建築」に対する問題意識が生まれ、人が人らしい生活ができる建築を目指した結果、人と街、人と人、他者と他者のコミュニケーションを生む建築を目指す風潮がうまれたように感じる。

その問題意識は、建築の教育現場にも浸透しており、学生の設計課題の提案でも人と人の距離を縮める建築というコンセプトをよく見かける。

物理的な距離はやはり遠い

しかし、”建築をつくる”人がどんなにコンセプシャルに、そして公共施設利用者の意見を求めても、彼ほどのスーパーアキテクチャと呼ばれる建築家になれば生み出す建築は、新国立競技場を代表とする大きく強い建築である。

「負ける建築」という思想をもつ建築家ですら”建築をつくる”ことに、物理的に距離がある。

歴史的な建造物よりも現代が必要としている大きくて強い建築をつくる場合、技術的に設計と施工とそれぞれに専門職の知識と技術力が必要になる。住宅もしかりだ。

技能を身につけなければ”建築をつくること”はできない。現代で建築をつくるには、やはり専門職に就かなくてはで

“建築をつくること”は図面を書くこと、という錯覚

くこと、という錯覚

建築学生の設計課題

離れた建築に近づく手段

極限まで分業制度が進んだ現代社会では建築をつくりたければ、図面が描ける人になり「設計職」という職能に就くしかないと思っていた

空間を作りたいと思った私は、ゆえに建築の専門学校に通っていた。

建築教育での設計課題の罠

建築の教育の現場では与えられた設計課題に対して、学生が意図したコンセプトを図面として表現する。

“設計”と銘うち、設計図面を書く。1年、2年と課題を続けているうちに建築をつくる”いうのは図面の中で行うものという錯覚を信じ込んでしまった。

しかし私は建築を学びだしたときに、図面に書きこんでいるこの寸法によって生まれる空間が本当にいいものなのかという不安が拭えなかった。

“建築をつくる”とは、図面を描くことなのだろうか。

図面に書き込む空間に対する不安を抱きながら、いろんな建築を見るように言われ、メジャーを片手に有名建築と呼ばれる建物をめぐる日々。

たしかに、設計課題と実測の回数を重ねるごとに、自分の身体と空間寸法の距離は縮まった。

「この間見た建物の床のレベル差が楽しかったから、取り入れてみよう」と経験を糧にすることができた。

しかし、どうにもたてものを設計している気持ちになれない。外観をなぞっているだけのような気持ち、うわべしか見れてない、なんにもわかっていないという不安は拭うことはできなかった。

 

小さく、建築をつくる

プロじゃないから……。知識がないから……。
たしかに、建築躯体に携わることはすぐにはできないかもしれないが、自分が欲しい空間に近づけるために小さく、建築をつくる方法はあるのだ。

それを等身大で教えてくれたのが、パーリー建築の宮原さんだった。

パーリー建築とは
改修する物件に住み込んで、施主や地域の人たちを巻き込みパーティーをしながら一緒に物件をリノベーションする活動
活動人物:宮原翔太郎 とその仲間たち
活動期間:2014年~
活動拠点:鳥取県(2018年現在)
Facebook:https://www.facebook.com/pticpartic/

彼は建築の専門学校で建築空間を学び、かっこいい建築を作りたかった。しかし建築事務所で設計職に就き、建築から遠く離れた場所で図面を描くことに違和感を感じていた。

そんなときに偶然参加した広島でのセルフリノベーションによるゲストハウスづくりの経験を通じて、”小さく、建築をつくることに気づいたという。

ゲストハウスの現場では、わからないことは自分たちでGoogleや人に聞いて調べながらプロではない人たちが自分たちが使う建物をリノベーションをした。この方法なら、自分でもできると感じた宮原さんは専門学校卒業後すぐに、住み込みで改修をする方法で活動を始めた。

( ↓ )宮原さんが始めた「パーリー建築」についてはこちら

専門学校を卒業したての若者が確立した自給自足型の建築手法│ パーリー建築

2018.03.17

時代と地域に合った方法で、自分たちで"建築をつくる"│ パーリー建築

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彼は自分の弱点である「素人である」ことを、施工の現場に身を置き経験を得ることでカバーする方法を導き出した。

プロではないから報酬はもらわない代わりに、施工中の改修物件に住み込みで作業をする。そして、毎晩パーティーをすることで食べることに困らないという原始的で合理的な解決法を得ることができたのは、
建築を小さく、自分の手の届く範囲に分解することに通じるものがあるように感じる。

「プロじゃないから」「知識がないから」を言い訳にしない

」を言い訳にしない

“建築をつくること”を自分の生活に落とし込んでみた結果

プロではないから報酬をもらわずに、その物件に住み込み改修をすること続けていた。仲間も増えていった。施主が作りたいものを明確にして、わからないことは調べたり、知っている人に聞いたりしながら経験を積み重ね、できることを一つまた一つと増やしていった。

できないことをできないと認め、自分がなんとかするにはどうしたらいいか。それを考え、解決し、自分の経験と知識という肥やしにする。

自分の生活に必要な、寝床・食べ物・今後の蓄えになる知識と経験を自分のできることで、”建築をつくること”に置き換え生活をする彼の姿に衝撃を受けた。 恥ずかしい話ではあるが、私は建築や空間を作ることに携わりたいと思っていたにも関わらず建築を自分事にできていなかった。

私だけではない気がする。いや、私だけかもしれない。どうなのだろうか。

建築が好きというのは、なんだか「かっこいい」「アーティスティック」「前衛的な」「歴史的な」といった”建築”や”建築学”をそれとして”たらしめている”言語的な感覚的な浮遊したものが好きなの

強い・弱い建築ではない建築をつくる

はない建築をつくる

本当にいいのか、なんて考えるくらいならどういった形でもいいから一度なり二度なり建築を作ることに携わってしまうことがいいのではないかと、彼らに出会って思った。

それは”建築をつくる”ほどでなく、例えば建具の板材をどうするとか、仕切り部分の装飾を変えてみるとか、壁紙を変えてみるとか、
もっと簡易的な部分でいえば部屋のレイアウトを変えてみる、カーテンを取っ払って光の入れ方を変えてみる、とか、手の届く範囲で“小さく、建築をつくる”ことに触れてみてやればいいのだ。

“小さく、建築をつくる”ことを肌感覚で知っていたら、強い・弱い、内向的・外交的、潜在的・内在的というものではなく、建築というものは近くて、私のそばにある使い勝手のよいものになってくる。

プロではないから、”小さく、建築をつくる”ことを続けた彼らの自給自足的な建築手法は、わたしたちの生活の仕方や住まい方を変え、都市空間の街並みを豊かにするきっかけになるのではないだろうか。

私は強い建築も感じるものがあり好きだし、建築家が作った負けてあげた建築もその思考過程を感じることができて面白いと思う。だからそういったものがある街で、できることならば一番身近な過ごす建築は、自給自足的な手法でできた建築で日々の生活を過ごしたい。

まずは、私が私がすごす空間をつくることに手を伸ばしてみようと思う。

 

 

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