日本と西洋の本質的相違を知るための教養本│書籍紹介

その時代を生きた人たちが残した当時の日本を知る

私たちは、欧米を真似近代化した日本に生きている。

現世では欧米といっても近代技術によって物理的な距離は縮まり、文化的な相違も物理的な距離は縮まったことで互いを知り、理解することがひと昔に比べて、各段と縮まっている。

ここで紹介する本には、日本と西洋との本質的な相違を「まだ日本が日本しか知らないころの日本」を知っている人々によって考察された日本の本質が描かれている。



陰翳礼讃 (いんえいらいさん)│谷崎潤一郎 (1933年)

陰翳とは、
1 光の当たらない、暗い部分。かげ。「ライトを当てて被写体に―をつける」
2 物事の色・音・調子や感情などに含みや趣があること。ニュアンス。「―に富んだ文章」
引用:コトバンク

文明の進歩とともに、電気も水道もガスも通じ、仄暗い場所はどんどん少なくなっていったころ。アメリカから近代技術が来る前の世界観を描写し、日本と西洋との本質的な相違について書いた書籍。

文明の利器を取り入れるのにもちろん意義はないけれども、それならそれで、なぜもう少しわれわれの習慣や趣味生活を重んじ、それに順応するように改良を加えないのであろうか。と谷崎潤一郎は、述べる。

全文記載されているので、興味がある人はぜひ。

けど、これは紙の本で、ほの暗い日光が入る部屋で読んでほしい。

日本美の再発見│ブルーノ・タウト (1939年)

本書は、冒頭で「日本建築の基礎」「日本建築の世界的奇蹟」について日本の美に関して建築を通して論じ、裏日本旅行記である。

ブルーノ・タウトは、桂離宮について絶賛し、日光の東照宮は「いかもの」「いんちき」と酷評したことで有名だ。
それには、欧米文化に対する劣等感から逃れられなかった当時の日本の指導層を喜ばせ、欧米に対して日本文化の質の高さを喧伝してくれたタウトを絶賛し教科書にも掲載したため、日本では一躍有名になった。という背景もある。

ドイツ生まれの1920年ころ活躍した建築家だが、晩年はナチスの迫害により、亡命先を探していた際に日本インターナショナル建築会から呼ばれ、1933年に来日し3年半滞在した経緯をもつ。

彼は、旅行記の中で、彼は桂離宮はもとより、伊勢神宮、火だ白川村の農家および秋田の民芸家の美について書き連ねている。「再発見」とはここに意味するのだろう。

五月十七日(金) 高山—牧戸ー白川村ー平瀬
この旅館は、宿泊料が高いくせに極めて平凡だ。しかし前川の建物はかなり古い。入浴は、二人の若者と一緒であったは、そのうち一人が皮疹に罹っていたので(浴室は清潔なのだが)ちょっと不快だった。

このような調子で、日記が続く。タウトの人間性や異国から見た日本の姿を見ることができる。

しかし、これは非常に現代の人に合っている。なぜなら、今の私たちが100年前の日本を旅することとなったら、それは異国人としての目を通してみる日本と変わりはないはずだ。
そのような旅行記中で、タウトは多くの索引をつけて、建築についても述べている。

神社であったが、火伏大神宮である。社殿は、異世代神宮の様式と近代的な広間建築との見事な結合で、キリスト教の教会似ていなくもない。いずれにせよこの二つの要素は銀灰色のなった用材ともっとも優れた釣り合いとによって、一つの統一を形式している。(上部にガラスをはめた一種の雨戸は、この地方の風土に対する考慮からは辰するものである)。

このことは、古来の伝統が近代的なもののなかへ発展し得ることを、明らかに示すものだ、そしてここに単純、明解な民族信から生ずる新しい日本がある。

 

表徴の帝国 | ロラン バルト (1970年)

「これはエクリチュールについての本である。日本を使って、わたしが関心を抱くエクリチュールの問題について書いた。日本はわたしに詩的素材を与えてくれたので、それを用いて、表徴についてのわたしの思想を展開したのである」

読みにくい言い回しもあるが、要すれば、記号学者としての視点から見る日本の切り口。ロラン・バルトによる日本論。

天ぷら、庭、歌舞伎の女形からパチンコ、学生運動にいたるまで…“日本”に感嘆しつつも、それらの常識を解体、象徴、関係、認識のためのテキストとして読み解く。表現体(=エクリチュール)と表徴(=シーニュ)についての独自の哲学をに展開させている。

外から見た日本の一部を、記号論という眼鏡を通して一度分解し、見直すことができる書籍だ。

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